音が人に不快感を与えるか否かは、音の大きさできまるのではなく、音の持つ意味によって決まる。
近所にやたらと怒るおっさんが居たとします。道を歩いていて、隣のおっさんが奥さんに怒鳴っていても、怖いと思いますが、そこまで気にはなりません。それが、僕に向かって怒鳴っていたら、不快で嫌ですし、すごく気になると思います。
逆に町を歩いていると、いろいろな音が聞こえてきますよね。車の音、カラスの鳴き声、おっさんのしゃべり声、店のチャイムやBGM、横断歩道の音など、いろいろな音がありますが、たくさんの音が耳に入っているのに、嫌ではありませんよね。気にならずにさらっと流せています。或いは意識にも上ってきません。
耳鳴りもそうで、音の大小はあるにせよ、普通のかたでも感じるているものです。音のない静かな部屋にいたら、小さくキーンと鳴っていることもありますし、寝る前なんかにも感じる場合もあると思います。語弊があるかもしれませんが、それを不快だとか嫌と思うかです。もちろん、病的なのは問題ですが、一度気になると些細な音でも気になるようになります。
不思議なものですよね。脳に行く耳鳴りを感じる回路ができて、その回路ができてしまったために、些細な音でもその回路を通って脳が感じてしまうということです。
僕自身、お風呂に入っているとき、ふとした瞬間、布団に入って静かにしているとき、ちょこちょこ耳鳴りを感じます。悩まされている人からしたら不謹慎かもしれませんが、治療する側なので、おぉ耳鳴りしてるな~って感じながら、どのぐらい続くやろ?とふと聞き耳をたてます。今日のは高いキィーンとした音やなとか、低い音が鳴っているときもあります。大抵数分で収まる、或いは上の考えでいくと気にしなくなって、意識に上らなくなります。
嫌な音として意識しないのかもしれません。実家で寝泊りする時、部屋の時計の秒針のカチカチって音は気になって寝れないですけどね。(笑)
鍼灸に限らず、病院での治療も、思い通りの結果が出ていない方がいるかもしれません。薬や鍼灸で効果が出て症状が解消されれば文句ありませんが、なかなか改善されず気になった場合、このように少し考え方を変えるだけで、楽になったという患者さんもいらっしゃいます。
ついつい耳鳴りに限らず、痛みに関しても、負の連鎖に陥るかたがいらっしゃいます。痛みがあり、気が滅入る、動かなくなる、外にでなくなる、体が弱る、体を動かさないとと思って運動をするが逆に痛みが出る、さらに億劫になる、痛みをかばって違うところが痛くなる。
負の連鎖の一例ですが、こんなことになることもあります。
考え方ひとつで、この負の連鎖を止めることもできます。難しいんですけどね。治療と+して治療中のコミュニケーションで、少しでも役立てれたらいいんですけどね。