横浜に来て7年が経過しました。
ほんと早いものです。
あちこちで告知をしているのですが、9月から北京堂鍼灸横浜の院長が代わります。大阪にて新規店舗を開業することになり、横浜の北京堂は、現在綾瀬の北京堂にて研修中の藤井先生に引き継ぐことになりました。
カルテやキープ鍼、治療所の場所や診療時間もそのままです。施術をする先生が代わるだけです。
また、回数券を購入されている方に関しましても、交代してからもそのまま使用が可能です。
8月から、治療中に藤井先生に横についてもらい、施術の仕方や症状の特長、その他諸々をお伝えしながら、引き継いでいく予定です。
もともと大阪出身なので、いつかは地元でと思っていました。
子供が少しづつ大きくなり、現在の治療所兼自宅が手狭になってきたので、店舗と住居を分けて他に移ろうかと考えだしていた時期でもあります。
2年前くらいにも、北京堂をやりたいという先生がいて、話が進んだこともあったのですが、相手の諸事情やこちらのタイミングなどで折り合いがつかず、話は立ち消えになったことがありました。
その時は、このまま横浜で暮らしていくのもいいかなと思ったんです。住めば都で、下町感、交通の便の良さ、良くしてくれるご近所さん、魅力的なものが沢山あるんですよね。それに、いらっしゃてくれる患者さんがいますしね。
そしたら、去年の末に師匠のところで飲み会があった時に、弟弟子の先生に、「大阪に帰られるそうで、色々お世話になりました。」なんて言われましてね。
??どういうこと。
さらに、師匠に、「この人が(藤井先生)横浜の治療所を継ぐから」と紹介されてね。
「先生、僕何も聞いてないんですけど、帰るとも言ってませんし。」
「あれ言ってなかったっけ?羅愛ちゃん(先生の奥様)馬場に言ってなかった?連絡しといてって言ってたのに。」
「一旦白紙になったから、当分こっちかなと思っていたので、急に言われましても困りますよ。」
「馬場が大阪に帰りたい、帰りたいってと言ってるって聞いたから。」
「いや、帰りたい帰りたいなんて一言も言ってませんし。ほんま先生相変わらずですね~。」
てなやりとりがありましてね。その時は藤井先生に事情を説明して、お断りをしたんです。藤井先生も、グイグイと話が進んでいたので戸惑っていたみたいです。
自分の人生、家族の人生など、今後を色々考えました。
一つ大きかったのはお互いの家族の近くにいたいと思うようになったことです。うちの父が病気をして、母が看病、介護をする。何度か大阪に帰り、そんな姿を目にしていると、母が病気になったら大変なことになるなと思いましてね。
うちの親もそんな年齢になったのかと、現実を見た気がします。近くに兄がいるので、別に問題ないんですけど、やっぱり気になります。うちだけでなく、嫁の親も歳を重ねてきます。今は元気でもいずれ、そんな時が来ます。
その他にも、子供の将来や二人目を考えたとき、或いは自分自身の年齢などを加味すると、今がタイミングなのかなと。
こういう話って、大阪から横浜に弟子入りしたときもそうでしたが、一歩踏み出すと、トントン拍子に話が進んでいきます。流れっていうのか、なんでしょうかね。とまっていたものが一気に流れ出す感じです。
通っていただいている患者さん皆さんには、ご迷惑をおかけして申し訳ないのですが、嬉しいことに「私は寂しいですけど、先生にとってはよかったですね。」「ご両親が喜ばれるでしょうね。」「墓場までと思っていたので残念ですが、将来を考えたらそのほうがいいですね」など、温かいお言葉をいただきました。
こんな私ですが、少しは皆さんのお役に立てていたんだなと思いました。
9月まで、まだあります。気を引き締めて、スムーズに引き継げるようにしていきたいと思っています。
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